招徳酒造株式会社は、昭和18年に戦時企業整備令により、酒井家、藤井家ならびに木村家の3家系・4酒造場が木村酒造を中心に企業合同し、共栄酒造株式会社として認可されたのが始まりです。
存続工場となった木村家は正保2年(1645)に洛中で酒造を始めています。木村酒造は明治6年から京都の中心、四条河原町正南角で清酒と味醂の醸造をしていましたが、大正末期の京都市の都市計画のために伏見の現在地へ移転しました。共栄酒造はさらに木村本家(坂宗)酒造を加え、また昭和39年には商号を酒銘と同じ招徳酒造に変更して今日に至っています。
「招徳」の酒銘は平安神宮にある明治天皇の御宸筆「福以徳招」によるものです。
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