江戸時代末期 安政3年(1856)石川県加賀出身の[金谷庄七]が京都に出て菓子業を始めました。 真盛豆を始め多種の和菓子の製造を手がけ、のちに金谷正廣と改名。 以降、京都西陣の地で営業を続け現在に至ります。 京都北野上七軒にある、天台真盛宗 西方尼寺に出入りを許されていた初代金谷正廣は、西方尼寺住持信随尼より真盛豆の製法を伝授されました。 明治初年、その製法に工夫を凝らし改良を重ねて銘菓として完成させてました。以来、茶人・通人のみなさまにご贔屓をいただいております。
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